今治の由来や、歩んできた歴史をご紹介します

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歴史探訪

愛媛県今治市歴史探訪
今治市の概要
今治市は、愛媛県の北東部に位置し、瀬戸内海のほぼ中央部に突出した高縄半島の陸地部と、芸予諸島の南半分の島嶼部からなります。地勢は、山間地域を背景に、中心市街地のある平野部から、瀬戸内海に浮かぶ世界有数の多島美まで変化に富んでいます。また、今治城の城下町であり、造船とタオルの生産で知られています。

今治のあゆみ
今治地方は、古墳時代の遺跡が数多く発掘され、7世紀には伊予国府が置かれていたことが示すように、古くから政治、経済、文化の中心地でした。

中世室町時代には、村上氏などの伊予水軍が台頭、海の関所を設け、往来の船舶から通行料を取り立てるようになりました。戦国時代、村上氏は安芸で勢力を伸ばした毛利氏につき、熊野水軍を中心とした織田水軍と戦を交えることになりました。その後、秀吉が全国統一を間近にした天正16年(1588年)に海賊禁止令が発布され、水軍は滅亡、あるいは封建家臣団に組み込まれて、瀬戸内海から姿を消すことになりました。そして慶長5年(1600年)、藤堂高虎が20万3千石の領主としてこの地に入り、今張を今治と改め今治城と城下町を築いて都市としての原型をつくりました。

明治22年(1889年)、市町村制の施行により陸地部の中心が今治町となり、大正9年(1920年)、日吉村と合併して今治市が誕生しました。その直後より港湾の整備を進め、四国初の開港場となりました。

昭和に入ってから、周辺町村との合併、編入をし、この間、太平洋戦争によって戦災に遭いながらも港を中心とした商業都市として、また、タオル、縫製、造船などが基幹産業としてめざましい発展を遂げました。特にタオルの生産は、全国生産高の約6割のシェアを誇ります。そして平成11年(1999年)には、尾道と今治を結ぶ瀬戸内しまなみ海道(西瀬戸自動車道)が開通し、中四国の交流、流通の拠点となりました。

平成17年1月、越智郡11町村との合併により、松山市に次ぐ県下第2の都市に生まれ変わりました。瀬戸内海の美しい景観と、大山祗神社や伊予水軍城址などの歴史遺産を誇る観光都市として、また造船・海運都市としても将来が期待されています。


今治の名前の由来
市名の由来は、慶長6年(1600年)藤堂高虎がこの地を統治する際に、「これからこの地を治める」の意を込めて「今治」と命名したといわれています。


今治の歴史についてもっと詳しく知りたい人はこちら↓
 藤山歴史資料館
住所: 〒799-2205
愛媛県今治市大西町宮脇乙579-1 [地図を見る]
電話番号: 0898-53-2313
開館時間: 9:00〜17:00
休館日: 毎週月曜日、年末年始(12/28〜1/3)
入館料: 大人200円、小・中学生100円







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